とかみる

とりあえず書いてみる。

主観と客観の境目

「客観的な意見」は多くの「主観的な意見」から帰納的に生まれる。主観の集合を客観と呼ぶための条件は何なのだろう。

主観的な意見はあらゆることに対して無限に存在する。私は、同種の主観的な意見が2つ以上存在したとき、それらの意見が存在する領域で客観的な意見が成立すると思う。例えば、「iPhone7は大きい」と思う人が2人以上いればそれは客観的な意見になり得る。

客観的な意見は帰納的に導かれたものである。ここで注意すべきなのは、帰納的に導かれた理論が「正しい」ということを証明するのは不可能だという点である。主観的な意見は存在命題(p1∈P ⇒ q1∈Q)、客観的な意見は全称命題(P ⇒ Q)に近いかもしれない。全称命題は、反例が一つでも見つかれば否定されるが、反例が見つからないうちは暫定的に正しいと認められているにすぎない。客観的な意見も同じように、それを正しいとする主観的な意見を持つ人々の間で受け入れられている意見にすぎない。客観的な意見は一般論を含むと思うが、絶対に正しい一般論は存在しない。

日常生活では主観的な意見と客観的な意見が混合している。メディアの報道は基本的には主観的な意見が多いと思うが、それがどうも客観的な意見であるかのように伝えられることが多いように思う。客観的な意見は個々の事例に触れないため、あたかも正しいと認識することが多いのかもしれない。主観的な意見と客観的な意見は分離して考える必要があると思う。

日々得る情報は主観的なものが多いが、それが正しいかどうかは別として、他人の意見を見るのは面白い。

 

執筆者:Azuki