なぜりんごが思考に用いられるのか
りんごが思考に用いられることは多い。1+1を考えるとき、人がモノを認識する過程を考えるとき、モノの代表としてりんごが用いられる。なぜりんごなのか。理由として考えられる特徴を挙げてみる。
1.赤い
赤は最も基本の色。色と言ったら赤を想像する。
2.丸い
角がなく安心感につながる。書きやすい。想像しやすい。
3.程よい大きさ
モノとして十分な存在感があり、大きすぎず扱いやすい。
4.食べられる(甘くておいしい)
安心感につながる。
5.樹に実る
安心感、知性、神聖さにつながる。
6.身近
身近でなければ、そもそも思考するときに思い浮かべない。
こう考えると、りんごは思考にもってこいの選ばれた存在であることがわかる。安心感ってなんだよと思うかもしれないが、ドリアンで思考したら頭の中が大変なことになりそうだ。
執筆者:ga_ku
教育を終えた人の自殺
児童生徒の自殺に関する報道は多いが、学生や社会人の自殺は報道されない。これは報道が教育機関の責任やあり方を問うているからである。責任が自分にあると考えられてる自殺はあまり目を向けられない。
理論的に考えると最も価値のある人間は教育を終えた若い人である。この人たちの自殺が社会に一番ダメージがあると考えると、これはもっと問題視されるべきである。
児童生徒の自殺を軽視していいわけでもなく、もっと自殺が報道されるべきだというのでもなく、教育を終えた人たちの自殺について問題意識がないのはどうなのか。
執筆者:ga_ku
幸せとは
「あなたは今幸せですか?」
こう聞かれたらどう答えるであろうか。今回は、「幸せ」とは何かについて簡単に見ていきたい。
幸せとは、ある種の幸福の次元なるものさしにおいて、低次元から高次元へ移ったときに感じるものであると考える。幸福の次元はある程度、絶対量で、現象Aは値aといったように決まっている。例えば、「100円を拾った」という現象は比較的低い次元に位置付けられるだろう。
幸せを感じるのに大切なことは、この次元の高低ではないということだ。現状からどれほど上の次元に到達したかが重要であるのだ。普段は、毎日元気に生活できていることになんの興味も示さないが、風邪で寝込んでそのあと治ったときには、元気に普段の生活が送れることが最高の幸せと感じるように。
そして、多くの人々はこの幸福の次元に制限がないのではないかと思う。要するに、常に高次の幸福を求めるのだ。もちろん現状維持で幸せを感じる人もいるが。
幸せとは外部から幸福の次元をもって高低を比較できるものではない。金持ちの方が、ホームレスより幸せとは言えない。幸せは各々の中での次元の増減で測られるものである。
我々が毎日幸せに生きるためには、この原則に基づき、小さな幸福の増大に気づくことが重要ではないかと思う。日々の小さなハッピーに目を向けると、意外に自分は幸せなんだと感じられるかもしれない。
執筆者 : sh_o